子供部屋おばさん

自分は俗に言う子供部屋おばさんである

実家から通える距離に仕事場があり、仕事を終えて帰れば、夕食もある

 

自由、という点においては一人暮らしに勝るものは無いが

それ以上の恩恵がある

 

ただ、それでもしんどいことはある

今日が久しぶりにその日だった

 

定期的にある友人と会

お昼から会って6時過ぎに帰宅

不機嫌マックス

 

昼からなのに何故この時間なのか、と

 

この人は

人によって物差しが違う、ということが理解出来ない人なのだ、と常々思う

 

自分はそんな時間まで喋り倒さないから人がそんな時間まで遊び歩いているのが気に入らない

(休みの日なのに夕食の支度もしないで、といったところだろうか)

 

最近色々と思うことがあり、言動、考え方、がすごく気になる

自分もすごく似ていて嫌だな、直したいな、と思っているところがすごく顕著に出てくる

 

今日出た話題で、海外への旅行の話をしたら

「ふーん。こんな円安の時に。」

と言ったような発言。

すごく上から目線に聞こえ、思わず、そんな言い方は良く無いと思うよ。と。

 

本人は、ただ単に興味ないからそう言ったまで、と言っていたが

羨ましいとはまた別なんだけど

僻み?なのか、自分とは違う行動、考え方をする人をそう言った目線、発言をすることが多い。

 

そんな人の元で育ったからか、自分もそう言った思考の癖がかなりあって、それに気がついてヤバい、って思い出したのがつい最近(それも相当やばいけど)

 

基本ネガティブ野郎でそこはなかなか変えるのは難しいけれど

人を僻んだり、自分と違う価値観の人を排除、異端視することを辞めるよう努力中

 

そんな中

そう言った感情ど真ん中に当てられて、しかもそれも不機嫌オーラ前回で…

しんど…

 

 

気分屋な不機嫌オーラ半端なく出しまくって怒鳴り散らすこの環境ばかりはしんどい

気分で態度が変わるダブスタなのをようやく少し距離をおいて見れるようになった気がする

 

自分も激しく気分屋なところがあるからもはやこの年でもあるし

結婚も子どもも嫌だな、と思ってしまう。

 

自分たちの姿を見て、

結婚しろ、とよく言えたものだよな、と思う。

お金は大事だけど、口を開けば、金、金…

それもしんどい

 

そう考えると、家を出るのがやはりいいのかもしれない

 

視点が違えば事実も異なる

子供側の視点と親側の視点

正解はないけれど

 

我慢を強いて(その我慢をあまり見せず)

それを聞き分けのよい、本人もそう思っている

 

と認識するのはいかがなものか…

そう感じている私の視点もこれまたひとりよがり

 

 

物を買ったりすることを

お母さんに怒られるから…

と言って我慢する姿は辛かった

 

怒られる、怒られない、は置いておいて

しっかり自分で考えて本当に欲しいのか、必要なのか…

考えることが大切

と、だけは伝えた

 

そんな私も泊まったレジャー施設で縁日遊びが2つで100円

って言われてきて、やりたそうだったけどダメ!って言ってしまった(反省)

本人は、ダメだよね…って言ってて、しまった…と。

見かねた祖母が、やってきていいよ。と言って

嬉しそうな反応を見せて

できる限り、やれることはやらせてあげたいな、と思った

 

普段の生活や態度を知らないし

もっと家ではわがままかもしれないし

両親大好き、甘えてる姿を見て安心ではあるが

昔から空気を読むクセのあるのが心配である

自分を変えたい

タイトルみたいに大袈裟なことはできないけれど

出来ることからコツコツ。

 

他人を頭ごなしに否定しない

こういう考え方もあるんだ

と、一度需要する

 

自分の価値観のみで、判断してはならないということは重々分かっているし、なんならそう言った専門の大学まででた(だが、大学では何も学ばず卒業すら危ぶまれた)

でも30年以上に渡り染みついた思考の癖、というのは一筋縄ではいかない

 

心無い言葉、きつい言い方をしてしまいしばし自己嫌悪に陥る

 

仕事ですごく見習いたい一回り以上年下の子がいる

最近、一番若手であったその子より後輩の子が入り、先輩となった彼

元々すごくポジティブな子で年齢の差もあり、驚かされることも多くあったが

彼が後輩に接している姿を見て、非常に学ばせてもらっている

常に肯定(やたらむやに褒めたり、認めたり、というのとはまた違う)

相手のペースを慮り、適宜フォロー

 

すごいなぁ…

かたや、私は、というとお粗末なものだ

仕事もできず対人関係もうまく築けず…

 

それでも日々少なくてもよいから良い方向へ自分を変えていきたい

完璧主義

姪が変なところで完璧主義らしく

出来なかったらどうしよう、と若干の行き渋り。

出来るように、何くそ!と反動になるタイプではどうやらなさそう。

出来うる限り、そこには近づかずにやり過ごしたいタイプのようだ。

 

これから出来ないこと、なんてものにはたくさんぶつかるのにどうしていくのか。と少しながら心配である。

 

先日、ヨガ教室の体験なるものに行ってきた。

以前からヨガには興味があり

色々と検索。スポーツジムのスタジオレッスンのヨガもあればホットヨガ専門もあったり多数の選択肢があった中から

体験に選んでみた教室は、少人数のプライベートサロン。

 

最大5名で、私が選んだ初心者コースは先日は私を含め3人。

私以外の方は常連さんみたいで、話が弾んでいる。

人見知り、アウェー感苦手な私には結構キツイ空間。

 

そしてヨガが始まる。

難しい。難しすぎて全然出来ていない。初心者コースなのにこんなに出来ていない状態で良いのか。

少人数なのが仇で、かなり細やかに直される(むしろそれを望んでそこのサロンを選んだのだが)

初めてな私ばかり指摘を受けて、残り2人はほとんど先生の指摘を受けない。

恥ずかしさ、とは違った何というか申し訳なさ。

足を引っ張っている気がして。

実際は違うとは思うが、全くの初心者の私が参加したがばっかりにそれに合わせたメニューとなっているのではないか。

こんなに全然できていない状態でいいのか。

 

気がつけば姪と同じ完璧主義に陥っていた。

それでも終わった後は気分転換になったのか少しスッキリした。

 

 

 

それでもこの前の嫌なことはやはり薄れない。

今回はかなり引きずっている…なさけない

信用、信頼

崩れ去る時は一瞬なんだな、と改めて感じている。

ちょっとやっぱりまだ消化するには胃もたれが酷過ぎるな。

ずっと消化できないかもしれない。

それこそ抜けない棘みたいにずっとささってて、時折何かの拍子にうずく、ような。

 

 

もう少し心のざわつきがおさまるまで堪えるしかない

でも、なぜざわついているのか、というのが少し理解できたこの度

自己分析の重要性、難しさを実感

 

もう少し耐えれる心理になったら掘り下げていきたい

見かけと中身

あっけらかんとして、何も考えてなさそうな

頭が緩い、バカみたいな、お気楽やろう。

 

でも実際は

結構メンタル弱くて、いつまでも引きずるタイプ。

 

久しぶりにぼろぼろ泣いた

みっともない

どうにか心の整理をつけなくては

 

 

消えたいなぁ

パーソナルカラー、骨格診断、これいかに

はじめに断っておきます。

私はセンスがいいわけでもなんでもない、どちらかと言えばダサい部類に入る自覚はある。

それでも、お洒落になりたい、と日々悩んでいるアラフォーのおばさん。

 

これから話す内容は、決してパーソナルカラーや骨格診断を否定する内容ではない。

 

 

 

昨今、パーソナルカラーや骨格診断という言葉をかなり耳にする

イエベ、ブルベ、そこにさらに季節が加わり

そして、今度は骨格のタイプ。

 

そういったものを加味し、似合う、似合わない等考えていく。

すごく理論的で根拠のある話なので、内容はもちろん理解できる。

理解できるが、納得がいくか、というとこれまた別の話である。

 

自分が似合う服、似合う色、というのはそういった概念を知る前からなんとなくわかっていた。

いわゆる試着してしっかりくる、というものだ。

 

でも似合うものが好きかと問われると必ずしもそうではない。

ここで葛藤が生まれるのだ。

こっちの色、デザインの方が圧倒的に自分に似合っているけれど

自分が好き、なのはこれではなく違う色、デザインなのだ。

ではどちらを、手に取るのか。

 

…昔はそれでも自分の「好き」という気持ちを大事にして後者を手に取ることも少なからずあった。

ここ最近はもっぱら前者だ。

となるとどういうことが起きるのか。

クローゼットの中が似たような色味で似たような形の服ばかり。

結果的に面白くなくなってくる。

 

似合わない(苦手)とするものでも、得意で調和して、とかあるが

よくよく読んでみると、誤魔化しでしかないように感じる。

 

ピンクが好き!→ピンクは不得意なタイプ。

それでも肌馴染みのよいくすみピンクをチョイスして♪

 

みたいな言葉が一番嫌い。

ピンクって200色あんねん!って言う中の好きなピンク、って言うのはある程度ピンポイントで幅が決まってるんだ。と。

 

ピンクが好き≒ビビッドなピンクだったりパステルカラーのピンクだったり

 

くすみピンクで取り入れて、好きなピンク身につけれた。嬉しい。とは人はならんだろう。と思ってしまう。

捻くれた私は、結局妥協しなさいよ。

似合わないもの無理して身につけたって痛いだけだよ。

と、言われてるようにしか感じない。

 

可愛いお人形みたいなのに憧れる私は

(かなりいい歳のおばさんだが)

量産型?地雷系?と言われる服装がものすごくドンピシャで好みだ。

でも、顔の系統は全く異なっている。

 

自分が若い頃、もっと流行れば良かったのに。

ある程度安価で手に入りやすい価格帯で売っていれば良かったのに。と思う。

…いわゆるロリータ等の系統の服装をしていたので。それでも、パステルカラーなどのいわゆる甘ロリではなく、クラシカルロリや黒系を着ていたが

今の時代の量産型の服装とかがあの当時あったとしてもやはり甘々なら感じでは着れないのだろうな、と躊躇するであろう。

 

着たいものを着たい、が、似合わないのも嫌。

似合うものに妥協する、のも嫌。

 

それを妥協ととるか、どうかという捉え方の問題でもあるが。

私はまだ、「妥協」と、捉えてしまう。

だから世間がみな「妥協」して自分に似合うものを選んでいる。

ということにすごく感心する。

 

似合う服を着たときに、お、これ似合うじゃん。

と確かにテンションは上がる。似合わない服を無理やり着るより上がる。

でも、できることなら理想(好み)の服が着れるビジュアルが良かったなぁ。としみじみ思う。

 

 

可愛い、に尋常じゃなく憧れる

不細工なアラフォーの呟き。